辛かった離婚当初を支えてくれた2PMの再始動に思いを馳せて…

音楽・映画など
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先日2PMジュノが除隊し5年の時を経て2PM全員がそろった。

その動画見ていてあの頃の辛かった自分、支えられたこと、今に至る私を記しておこうかなと思い久々に日記形式のブログを投稿することにしました。

アーティスト活動してた私は正直アイドルをバカにしてた。
でも私の別居、離婚初期のドロドロの精神状態を助けてくれたのは紛れもなく2PMだったから。。。

私の元はベーシスト兼ディレクターで私のサポートや売り込みをしてた。
当時同じレコード会社からでてたアーティストが夫婦で子供もいて。。
私もあそこみたいに子供産んでからも家族でツアーとかやるぞ!と思ってた。

でも、結婚して数日で妊娠し、出産して5ヶ月のある日突然帰ってこなくなった元。

母は1人で何でもやらせるという教育方針だったし自身がシングルで会社を経営しバリバリ働いていたこともあり私は妊娠中もその後も実家で休むということは1日もできなかった。
5週目から分娩台にあがって産む直前まで続いたつわりにも母はだらしないと怒ったし、初めての子育てであたふたする私に、犬猫でも1人でできることを人間ができないわけが無いという人だったから買い物手伝ったりしてくれたことはあっても基本終始ワンオペだった。
授乳が上手くいかなくて最初の子育ての挫折感を味わってからも、とにかく疳の虫が強くて助産師さんも大変、、と言ったほど手のかかった息子に翻弄された日々。夜泣きは2時間どころか一晩中抱いていないと泣き喚いた。。

元は毎晩12時すぎだし土日もイベントに駆り出されるかベーシストとしてライブに出るかで私は多分夜泣きや寝かしつけが上手くいかないあの頃産後鬱ってやつだったのだと思う。
この間に堅実だと思っていた旦那に消費者金融3社から督促状が届いたり、数日おきに元の妹や母や親戚が遊びに押しかけてきたり。。

子供のように可愛がっていた愛猫が出産で入院している3日の間に元のことをものすごく怖がりキャットタワーの丸いボックスから出なくなったことも私の中で大きな不信感とストレスを募らせた。

旦那の側のクローゼットから使用済みの怪しげなアダルトグッズと明らかに私と結婚してからの日付のそのレシートが出てきたりもした。

その都度話し合いをしようとしても完全に黙秘して、話し合いはおろか一言も説明も言い訳もしないというモラハラに、私は怒りも何もどこにもぶつけられないまま溜め込むしかない日々が続いた

辛いことは数えあげればきりがない

それでも私は元が好きだった。
ハグされた記憶がない私に、そういう愛情表現はしないからね私と言う母に育てられた私にとって元は抱きしめたり日に何度も言葉で愛を表現してくれる大切な拠り所だった

結婚したんだし、子供もいるし、何より好きだから乗り越えよう!この人を支えて頑張ろう!と思って辛いことが起きる度に話し合いができないので飲み込まざるを得ないまま気持ちを切り替えて来た私にとって、まさか向こうから別れを切り出されるなんてことはまさに青天の霹靂だった。

ちょっと頭冷やしたら帰るでしょという周りの声とは裏腹に元は結局そのまま8か月帰ってこず、そのまま話し合いもほぼ出来ぬまま離婚に至った。

この間に何度も私は話し合いを持ちかけたけれど電話に出ないメールもスルーの日々でどうにかこうにかで2回だけ話をすることができた。

2回目の話の時に私は覚悟を決めた。

子供のために元がしたい全ての条件をのもう。そして全部のむから戻ってきてというつもりでいた。

私にとってはとにかくプライドや愛や私の命よりもこの子だったから。

でもそんな私の覚悟の前に元が話し続ける条件はあまりに幼稚で自分勝手でだんだん元の声が遠ざかっていく感覚を今でもはっきり覚えている。

ちなみに一部ご紹介すると

借金はあるけど仕事はこれ以上増やしたくないから返済の分はchikakoが働いてほしい。子供は俺の親や妹が面倒見てくれるからフルタイムでやってもらって構わない。

俺は週に2~3日は実家の方の友達と遊びたいから週末は実家に泊まる。

ライブをやったり音楽活動はこれからも続けるからそのために必要なお金は家計から出してほしい

お小遣い制は無理だから基本生活費は折半でchikakoは子供預けて働いて

などなど

子供が2~3歳で、かつ元の借金がなければ全然いいんですよ。

でも子供5ヶ月で元の借金350万っていう状態でお前が言うか?って思う私はわがままなのか??

話聞いてるうちにだんだん耳がぼわ~んとなって、、そして突然糸がぶちっと切れるように

この人は必要ない。

という気持ちになり、好きという感情が魔法が溶けたかのように一瞬にして立ち消えた。

この子を守ることが私の使命で、そこにこの人がいたら邪魔になるなと明確に判断ができた。

結局別れることしか選べない状況で別れ、慰謝料や養育費の話はしたものの、公正証書の作成はどこまでもずるずると印鑑を押さないとか電話に出ないのが続き、お金ない状態で別れた私はとにかく明日の生活のために働かざるを得ず、協議書を作成するところで力尽きました。

分かってる。

公正証書作らないと強制力ないなんてことは分かってるけどできなかった。

私の夢はいつかお金持ちになったら裁判してお金徴収してやりたい!ですよ。

それくらいシングルマザーにとって養育費を取り立てることは本当に難しい。だからヨーロッパのように国が自動的に徴収し分配するシステムにするべきだと心から願います。

故に養育費を代わりに徴収するとかいう民間会社には納得がいかない。そこに営利は必要ないと思うから。

と話がそれましたが

そんなこんなで私は必然的に歌うことから遠ざからざるを得なくなった。
働いて子供を乳児を1人で抱えて歌歌えるわけない。そんな時間もお金もない。

元は楽し気に音楽やライブ活動をしているのに私は音楽を聴く暇も心の余裕もなくなった。

ネットで日本中にいた音楽仲間とミクシーでつながっていたけど、こういう状況になるともうSNSは地獄だった。

仲間が楽しそうに音楽活動の報告や写真を上げるのを見れない。

どんどん追い越されていく。

いつしか私はマイクや録音機材だけでなくキーボードやギター、果てはCDプレイヤーまでもクローゼットの奥にしまい込んで音楽を遠ざけるようになっていった。

そして自身のアーティストのホームページだけを残して全てのSNSから存在を消した。

誰もかれもが恨めしかった。周りを見れば幸せそうなカップルや夫婦がいて近所のスーパーに行くのも辛かった。

それでも悔しくて私は取りつかれたように毎日息子を散歩に連れて行き、土日には絶対にどこか遠出をして子供を遊ばせるということをした。

お祭りに行けば息子を肩車し、公園ではサッカーをし。。。

男親なんていなくても私が絶対に幸せにする!という意地でから回って多分疲れ果てていた。

苦しくて、辛くて

どうして私が?何で私がこんな目に?

そんな思いがずーっとぐるぐるとどす黒く渦巻いていた時期はその後数年続いたと思う。

そんな辛い時期に

母が韓流ドラマにはまってしつこくDVDを送りつけてきた(笑)

そこでしぶしぶ観た中に音楽をテーマにしたドラマ『ドリームハイ』があって、そこから私は2PMを聴くようになった。

バンドやアーティストではなくアイドルである彼らの音楽は諸々抱えた私には程よく甘く心地よかった。

ストリートで歌うバンドを見れば自分がやってきたことと重なって悔しさしか出てこないけれど音楽ではあるけれど畑の違うアイドルの音楽は対抗心なく素直に楽しめて、トークなどで可愛いメンズ達に癒された。

日本のアイドルと違ってチャラくない好青年ぶりをアピールするあの時代の韓国のアイドルは私みたいなおばさんでも素直に良い子達だな~と楽しめて私は確実に彼らに癒されて救われた。

気付けばシングルの気楽さと平和さ加減から抜け出せなくなって、お金のこと意外はめちゃくちゃ幸せだな~と言える私になっている今

息子とK-POPだけでなく洋楽や日本の音楽も楽しく聴いたり語ったりできるようになった。

彼ら一人一人が兵役に行くことで2PMは5年前に一旦全員での活動は休止しているのだけど、私がシングルでも平気になった頃と時期が重なっている。

そんなこともあって彼らが5年ぶりに全員そろったのは本当に感慨深い。

コロナが収束して6人でのコンサートが実現したら絶対にまた息子と一緒に応援しに行こう!

辛い時期を支えてくれて、大好きな音楽を再び大好きと言える私にしてくれた彼ら2PMの再始動!心から待ち望んでいます!

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